ゴミ山で働いていた子どもが日本語教育を受け、カンボジア国民の憧れの仕事に合格した話

僕がソチアに出会ったのは、2013年の春のことです。
現地旅行会社に勤めていたときにゴミ山の案内の仕事を任され、毎日のようにゴミ山に通っていました。

カンボジア、シェムリアップのゴミ山では大人も子どもも合わせて100人くらいの人が市内から運ばれてくるゴミの中からリサイクルできるものを拾い売って、生計を立てている場所です。一般ゴミはもちろん、医療廃棄物や工場から出るガラスの破片などが散らばっており、環境衛生上もかなり問題のある場所です。

そんな場所で働いていたソチアくん。当時14歳

ゴミを漁っているところ

毎日ゴミ山に訪れる外国人の僕が珍しかったのか、興味本位でいろんなことを聞いてくれました。

ー日本って寒いの?
ー日本ってお金がたくさんあるんでしょ?
ー日本って、、、

Kumaeが日本語学校を始めるきっかけも彼が日本という国に興味を持ってくれたからでした。

ゴミ山は地元のメディアやアメリカの大きなメディアにも取り上げられ、一時期は凄まじい反響がありました。

左端がソチアくん
「貧しい思いをしたことない人は、その「貧しい」という意味を知る余地もない。」
KHMER TODAY

両親もタイへ出稼ぎに行ってしまい、祖父母、弟2人を食べさせるために子どもだった彼にはゴミ山で働くしか選択肢がありませんでした

2013年8月にKumaeが日本語学校を設立したものの、ソチアくんは公立の中学校とゴミ山での仕事で日本語学校にはなかなか来ることができませんでした。

設立当初の日本語学校

まずはゴミ山に行かないで稼げる手段を。ということでミサンガを作ってもらい、旅行客や日本でのイベントで売って、そのお金で家族を養ってもらうことにしました。

ゴミ山に行く必要のなくなったソチアくんは勉強に没頭し、もともと時頭も良かったので、ひらがなとカタカナを1ヶ月もしないうちに全て完璧に覚えました。勉強が楽しくなったのか、公立の学校でも学年で1番をとるようになっていきました。

モチベーションをさらにあげるため、市内への社会科見学へ連れて行ったり、日本への訪問もしました。

第1期の生徒たちが高校2年生を終業するタイミングで、生徒たちからこんなことを言われました。

「私は高校を卒業したら、村で働きます。」

「日本語を勉強すれば、選択肢の幅が広がるよ」と言っていただけに、村での仕事を選んだのはショックでしたが、仕事に優劣はないし、彼らがそれを望んでいるならと自分を納得させましたが、やはりまだ心に引っかかることがありました。はたして、それは自分が決めたことなのか?

詳しく話を聞くと、
親戚もいない、お金もない、泊まるところすらない子どもにとって危険のたくさんある市内に行かせるわけにはいかないと親から猛反対を受けたそうです。

後日、僕も生徒たちの親と話し合い、生活できるための最低限の泊まれるスペースを用意するということで説得し、生徒たちには改めて自分が進みたい道を考えてもらいました。

生徒たちが共同生活ができるシェアハウスを建設

高校を卒業してからも市内にある山本日本語学校に通い続け、また市内にある日本食レストランSaijuでアルバイトさせてもらいながら、2年ほどたちました。

日本語スピーチコンテストで1位
日本食レストランSaijuのオーナーの健太さん(左奥)が開いてくれたソチアの卒業パーティ

カンボジア人憧れの職業「 ガイド 」のライセンス合格

そもそも ガイドになるためには
選択言語でガイドの学校に入るために試験を受け合格し(かなり狭き門)、6ヶ月間の勉強ののち、遺跡の歴史を学ぶという過酷な道です。(難しいので賄賂で取る人が多い)

今年2019年にソチアくんはガイドの学校を卒業し、ライセンスを取得しました。

ガイド
20歳になったソチアくん

ゴミ山からガイドへの道は平坦な道ではなかったと思います。
彼の努力や家族への思いやりは人並み以上のものがありました。

友達が日本語を勉強し始めてすぐに辞めて遊んだり、目先の仕事に就くのを羨ましがりながらも、「日本語ガイドになりたい」という強い思いが彼をここまで成長させてくれました。

また、彼はまだ気づいていないかもしれないけど、
日本への社会科見学やシェアハウスの建設費、日本語学校の先生の給料や維持費など日本人をはじめ、多くの方からのご支援、ご協力があって実現できたことです。

この場をお借りして、Kumaeに関わる全ての方に感謝申し上げます。

ありがとうございます!
そして、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

P.S.

日本語を勉強すれば、カンボジアではいろんな選択肢が広がるんだよ。と言っておきながら、生徒から「先生はなにがしたいの?」と聞かれると、「うーん、今やってることが、やりたいことだよ!」とか、嘘みたいな正論を言っていました。

選択肢を広げたいと思い立てた日本語学校で僕自身の選択肢も大きく広げることができました。まだまだ叶うかどうかは先の話にはなりますが、プロサッカー選手として、カンボジアのフィールドでプレーをするのが僕の夢だということに生徒が気づかせてくれました。

そして、そんな僕の挑戦をたくさんの人に見てもらい、一人でも多くの人の選択をするときのきっかけになればと思います。

山勢拓弥

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